友あり遠方より来る。又楽しからずや。



ベンセイ~ シュクシュク~
 ヨル~ カワヲ~ ワタル~

そう詩吟。
ほのぼの宮さんはその昔
横浜での学生時代、詩吟研究部におりまして・・

その仲間の「途中下車の会」メンバーが
久しぶりに焼津に集まり懐かしく杯を交わしました。

皆さん還暦前後のおやじさんばかり。
中にはすでに“おじいちゃん”も。

皆さん20歳前後からの長い長いお付き合い。
言葉は要らないって感じですね。
でも、やっぱりいっぱいあの頃の思い出話が・・・
こういう宴はエエネエ、無条件で。
久しぶりの命の洗濯でした。






「花沢の里」の満開の梅が東京よりの客人を温かく迎えてくれました。
  

Posted by ほのぼのみやさん. at 2009年03月01日22:36

ソースの旅 バルーン編



当地では、毎年7月の第二土曜日の夕方は「提灯まつり」が行われる。



子供の健やかな成長を願い、生まれた子の名前を書いた提灯を“おつしまさん”に奉納して、年に一度祭りの夜に灯すのです。

半世紀も前、私の子供の頃は、お赤飯の小さなおにぎりがもらえて、そのうまかったこと。

今は地域の下小田中老会のおじさん達が綿菓子・かき氷・ボールすくいなどで子供たちの思い出作りをしている。
小生も中老会のおじさんのひとりで、今年もバルーンで犬や刀、それにユーフォーキャップなどを作って子供達にプレゼントした。
お天気も良く大勢の子供達が並び、汗だくで作りつづけて、今日もまだ右手の甲がはれている。

思えばバルーン作りは20代の頃からやっていた。今のように細長いものは無くもっぱら丸い風船をひねり、“こけし”の顔を書いたりしてスーパーの売り場などで子供達にあげていた。
そんなことをしながら全国を歩いていた若い頃が懐かしく思い出された提灯まつりの夜でした。

この子たちが大人になって、又この神社にお参りした時“子供の頃、提灯まつりの夜、バルーンで犬や刀を作ってもらったっけなあ”と懐かしく思い出してくれたらほんとに嬉しいですね。



“みんな、来年も元気でお参りにいらっしゃい!”
  

Posted by ほのぼのみやさん. at 2008年07月14日21:05

ソースの旅 映画編4



静岡で貴重な映画が上映されているとの情報で、早速「サールナートホール」で観てきた。

『いのちの食べ方』という映画で、ヨーロッパの映画祭で数々の賞を取ったド肝を抜くドキュメンタリー映画でした。
野菜や果物が栽培・収穫され、鳥や豚、牛などが飼われて、と刹され、食肉となっていく工場?の様子がナレーションも音楽も無く、ただ淡々と90分間画面に流されていく映画でした。

う~ん、なんと云うか。牛や豚を殺さなくては人は生きていけないという、見たくない所を赤裸々に
、しかもほんとにきれいな映像で描き切ってるところが、この映画の凄さかもしれない。又ナレーションが無い分、大量の農薬が播かれた野菜や、ベルトコンベアで次々処理されていく家畜のぶきみさが際立っていた。それは人間の業なのかも、でも食べなくては生きていけない。だから“いのち”に感謝して頂かなければ・・・・って簡単にまとめられない映画でした。

この映画で一ヵ所、懐かしい光景を見た。
豚の“金抜き”のシーンである。

子供の頃、我が家も豚を飼っていた。子豚が少し大きくなると、獣医さん?がやって来た。
子豚の足を捕まえて、股間に塩を塗り、かみそりをピーと走らせると中から肉のかたまりがふたつ出てきた。これがいわゆる“きんたま”というやつで、美味しい肉にするために“男性”を取ってしまうのである。

「あぁ 人間に生まれてきて良かったぁ」と自分の股間を押さえながら、おふくろさんに感謝したものでした。そのおふくろさんも亡くなって久しいが、「なぁ ぶう子や」って豚を相手によく話をしていた“もんぺ姿”が思い出されます。
豚小屋の錠前をするのを忘れて、逃げ出した豚を追って畑を走りまわったあの頃の情景が、私の『ソースの旅』の一番の原点かもしれない。
  

Posted by ほのぼのみやさん. at 2008年06月21日11:45

ソースの旅 映画編 3



私にとって昭和の「映画」は亡き姉夫婦への鎮魂の思いと、中学から高校時代の大人社会への教科書でもあった。

その当時、映画全盛の時代で、焼津だけでも6軒の映画館があった。
姉夫婦は住み込みで映画館に働いていた。
義兄は映写技士として、姉は入り口で“もぎり”をしていた。

義兄のお父さんは戦前の無声映画の時代、静岡で「大森楠山」という名で活弁士をやっていたそうだ。まさに映画で結ばれていた親子でした。
姉の遺留品の中に「大森楠山」の幟が写った写真があった。いつ頃、どこの映画館なのかよくわからないが、通行人の着てる服装からして、昭和初期の静岡だろうか。
いくら人気の活弁士だったとしても、もう「大森楠山」を知る人はいないだろう。





学校が休みの日「姉ちゃん遊びにきたよ」って声かければフリーパスで入館できた。
姉の映画館は大映・松竹系だったので勝新太郎の座頭市や兵隊やくざシリーズなどがヒットしていた。
でも、一番好きだったのは市川雷蔵の「眠狂四郎」だった。
雷蔵の涼しげな切れ長の目、すっとのびた鼻、少し面長のニヒルな面立ち、腹の底から響く低音なのに艶のある声。円月殺法の「静寂な間」と、刹那に相手を倒すスカッとする殺陣。
男と女のからみのシーンでも、実にダンディーな振る舞い。クールな大人の”男の魅力”にあふれていた。
男はかくあるべきと、雷蔵に成りきっていた自分も、映画が終わりトイレで鏡をのぞいた瞬間、現実に引き戻されてしまうのでした。
今でも男の着流し姿が好きなのは眠狂四郎への憧れかもしれません。





成人映画の時も、姉さんは「だめだよ」って言うが、義兄が手招きしてくれた。お腹がすくとカツ丼を出前してくれた。
映画館の一番後ろの席でにおいを気にしつつも、スクリーンを見ながら完食した。

出前のカツ丼を食べながら”濡れ場”を見ていた青年も、いつしか還暦を迎え、半世紀も昔のことが懐かしく思い出される今日この頃です。
  

Posted by ほのぼのみやさん. at 2008年06月18日11:05

ソースの旅 映画編 2



「映画」は昭和いう時代を映した文化遺産である。

今思えば、子供の頃の知り得た世界は学校への通学路周辺などの極身近なエリアだけであった。テレビもなかった時代なので、唯一映画で観る世界だけがまだ見ぬ他国?の世界でした。

当時部落の公会堂や神社に時折映画が巡回してきた。
それはそれは楽しみで夕飯もそそくさと済ませ、座布団を抱えて公会堂へ急いだ。
夏にはうちわ片手に、冬はどてらを重ね着して・・・

二つの大きなフィルム巻が回転する音が好きだった。
映写機のレンズからスクリーンまでの光の帯がなんとも魅力的だった。
あれは埃の粒子が光に反射して見えるという、超現実的なことも後から知った。

代はチャンバラ全盛期、勧善懲悪の時代劇も楽しかったが、なぜか今でも記憶に残っている映画はチャンバラではなかった。
ひとつは、左幸子の『女中っ子』。そして『警察日記』のふたつ。

特に「警察日記」は

“はぁ~ぁ~ はるかぁ~かなぁたわぁ~・・・・”

ゆったり流れる“新相馬節”の節回しと共に、名子役の二木てるみが警察官の森繁久弥と醸し出すなんとも言えない日本の田舎の情景が、モノクロの映像でこころにいつまでも残っていた。

一家に一台、一人に一台テレビが見れる時代、生まれた時から46時中バーチャルな映像に囲まれて育った子供たちはほんとに幸せなのかな。
その当時の子供たちの方がこころ豊かで純粋な感動に恵まれていたのかもしれない。

又、秋葉原で。
繰り返される若者たちの殺傷事件と、この行き過ぎたバーチャル社会との間に何か関連性があるのではないだろうか?

この二本の映画、いつか床に座布団をひいて観てみたいものです。

  

Posted by ほのぼのみやさん. at 2008年06月13日10:46

ソースの旅 映画編



昨日、高校時代の友人に誘われて金谷の夢さき会館へ『ALWAYS・続三丁目の夕日』を観に行ってきました。

昭和の息吹と懐かしさが画面いっぱいにあふれ、久しぶりの無条件の感動を味わいました。
売れない作家と場末の踊り子のピュアなロマンスがめっちゃイイ!
小雪さんがまた良い!

昭和の時代には「映画」がよく似合う。
小生にとって子供時代の思い出はテレビでなく映画である。
自分の知らない世界を始めて見たのは映画のニュースだった。
社会の扉を開いてくれたのは映画。だから“ソースの旅”のスタート地点のひとつは「映画」なのかもしれない。

宮島家では 子供の頃より家族みんなで外出した記憶が全く無い。田植えや稲刈りなどの農作業以外は。
唯、毎年お正月になると、父(とっ)チャンが自転車で子供たちを街の映画館に連れて行ってくれた。
兄(あん)ちゃんが後ろの荷台に、そして自分はハンドルとサドルの間の横棒に座布団をまたがせたイス?に横すわりになり、落ちないようにしっかりハンドルを握りしめて出かけた。

漁師の父(とっ)チャンはチャンバラが好きだった。
長谷川一夫、高田幸吉、東千代之介、中村錦之助、大友柳太郎etc。そして美空ひばりのお姫様や若衆姿も・・・。
場内が真っ暗になり『東映』の三角マークに波頭が画面いっぱいに広がるともうそこは別世界だった・・・。

帰りには必ず大正町の『三州屋』さんという蕎麦屋に寄り“天南そば”を食べるのがいつもの習わしだった。“世の中にはこんなうまいもんがあるんだ”って
その頃から大きくなったら蕎麦屋になるんだと決めていた。

そんなお正月行事がいつまで続いたのかもう忘れた。
あれから半世紀、蕎麦屋にはなれなかったけど、『三州屋』さんの前を通ると胸が熱くなる。
そして、父(とっ)チャンと兄(あん)ちゃんとの思い出を封印して、あれから一度も『三州屋』さんに入ったことがない。
  

Posted by ほのぼのみやさん. at 2008年06月09日11:54

ソースの旅 3

横浜から半年振りに兄が帰省し、昨年亡くなった姉のお墓参りに行ってきました。

姉は事情があり婚家の墓ではなく、いわゆる「永代供養」をしてくれるお寺さんに収めさせていただいた。
これで姉は喜んでいてくれるだろうか?
無論、兄弟で最善の方法と思いそのようにお願いした。

横浜の方では桜などの大樹の下に納骨する「樹木葬」という葬り方があり、希望者が殺到して、兄夫婦は今だに抽選にもれてしまっているとのこと。

亡くなった親父さんが焼津に兄夫婦のために墓所を購入してあったけど、そこには入らないので“お前が入れ”とのこと。
兄弟でこんなやりとりがなんのてらいもなく、ごく自然にできるようになるなんてほんとに不思議な感じである。

三男である私も分家なので墓所は無い。
この話どう受け止めたら良いのやら?
自分も「樹木葬」が良いなと思うけど焼津には無いし、墓所を譲り受けても、墓石も高価だし、後が続くか不明だし・・・

『ソース』の旅はわくわくする人生を見つけること。そして、その後、充足感に満たされた自分を感じること。
最終の充足感は“穏やかな旅立ち”ができること。
それって一番難しいことなのかもね。

日本人の家族のあり方やご先祖さんとの関わり方が大きく変わってきている今日この頃です。

さてさて、この話はまだまだ続きそうです・・・。




  

Posted by ほのぼのみやさん. at 2008年06月06日10:08

『ソース』の旅 2



『ソース』といってもとんかつにかけるソースではありません。
『ソース』とは「生きる意欲の源」又「「あなたらしさの源泉」であり、“本当に心から納得し自分自身の足で新しい人生を歩き始める事ができる”ように導いてくれるプログラムです。

今現在ある地点から過去へとさかのぼり、社会人・青年・少年・子供・・それぞれの時代を回想し、こころの棚卸しをして、それをこれからの未来の生活をワクワクした“より自分らしく生きる”ためのこころのよりどころとなるものを見つけ出そうというワークショップです。

今回、静岡市で『自分自在ラボ』を主宰されている牧野敬之さんのご指導で、すっかり昭和の自分にタイムスリップさせていただき、大いにリフレッシュさせていただきました。還暦という人生の節目にこんな体験をさせていただき牧野さんに感謝です。

囲炉裏端で美酒に酔い、のどかな伊豆の風景と温かな人情にふれ、そしてひとと人との出会いの不思議を感じながら、夕闇せまる初夏の風の中、修善寺行きのバスに乗り込みました。
  

Posted by ほのぼのみやさん. at 2008年05月29日13:10

『ソース』の旅



今日は定年退職して初めての雨。ゆっくりと机に向かい、やっぱり大雨の中で先日体験した『ソース』というワークショップのことを思い出していました。

5月19・20日伊豆市原保にある『彩里』という温泉古民家を借り切って、自炊しながらそれぞれの人生を振り返り、又新たなる生き方を探るそんなワークショップでした。

その日は夜から大雨になり、翌朝温泉につかり、ふと窓越しに眼をやるとかたつむりがゆっくりゆっくり歩を進めている姿が・・・・。
こんなゆったりとした気持ちでかたつむりを見るなんて、子供の頃以来何十年ぶりなんだろう・・・。



還暦を迎えたばかりの私のために、誰かがこのタイミングにかたつむりを遣わせてくれたようです。
これからはゆっくり、ゆったり生きたいものです。

恵み雨 どこへ行くやら かたつむり
     ゆっくりいきなよ 還暦祝う   かつみ

  

Posted by ほのぼのみやさん. at 2008年05月29日10:29