二人四脚秋めぐり





暑い熱い夏もやっと峠を過ぎて又ひとつ季節が移ろいで行きます。
そんな初秋の気配を求めて、妻のバースデイツアーに伊豆かいわいを訪ねてきました。

まず、三笠宮記念公園でひっそりとした初秋の山野草を愛でて美味しいそばを味わい、箱根スカイラインから芦ノ湖スカイラインへ。
途中十国峠で、昨年末から多難続きだった妻に、再起を賭けた七転八起の達磨さんをペアーで求め、伊豆スカイラインで伊豆の山並みを伊豆高原まで一路快走。

その夜、なんと前日の雨ですっかり洗われた伊豆高原の夜空にふたつも流れ星が・・・。
そのあと、野趣あふれる露店風呂に入り、高原を渡る秋風と虫の音にすっかり癒されて就寝。

又、翌朝の露店風呂からは蒼く澄んだ有明の月を仰ぎ見ることができすっかりリフレッシュ。
帰り道、大室山のおはち巡りし、たまたま看板を見て立ち寄った伊豆市の「縄文之御神湯温泉」が素晴らしい温泉で、二人ともすっかり魅了されて名残りの伊豆を堪能して帰路についた。

さあ、今年もあと4か月、人生の旅路を楽しもう。



Posted by ほのぼのみやさん. at 2015年09月08日19:29

梅雨の晴れ間に慶事あり







又々なんという時の速さよ
先日正月を迎えたばかりと思っていたがもう半年が過ぎ
茅の輪くぐりに焼津神社に行って来た
今年前半のお元気に過ごせた御礼と溜まったマイナスエネルギーの浄化に行ってきました。生涯忘れられない激動の。。
本年の前半でした。プライベートでは四月からまた爺と婆の二人暮らしに戻り、仕事もシルバー人材から一般の臨時雇用になり就業体型も大きく変わりました。

三月までの曇天続きの老人センターの受付から、晴天の青空の元
若者たちが弾け飛んでる高校の用務員に。
しかも、ちょうど五十年前に自分自身が三年間通った母校とのご縁をいただくことになり早三ヶ月が過ぎました。

何もかも懐かしいの一言。昔学んだ教室も机も椅子もみんな当時のマンマ。今思うと机ってこんなに小さかったかなと。

先日。卒業式の後記念写真
念写真を撮った中庭の梅の木の剪定をしたが五十年後にこんな出会いがあるとは十七才の自分には想像だに出来なかった。元々商業高校を希望していたのに、中学の担任の都合で受験校を変更させられた経過が有り、この高校に人生二度もお世話になるとは不思議なご縁を感じます。

明るく響く生徒たちの朝のあいさつに元気を頂く毎日です。
この子達が健やかに明るい学生生活を送れるように今日もせっせと縁の下の力持ちに精進しているほのぼの宮さんではあります。


そして、今日は我がパートナーの60回目の誕生日。
つまり還暦祝いの慶事。
次は10年後の古希が楽しみである。その時には自分が喜寿を迎えダブル慶事の祝いを。
それまで元気で健やかに過ごしたいものです。



Posted by ほのぼのみやさん. at 2015年07月04日21:39

昭和がまたひとつ消える



日常生活の一年の締めくくりは12月の大みそか。
でも、仕事の締めくくりは年度末の3月31日。そして、その日をもってただいま勤務中の職場「焼津市福祉老人センター」が閉館になる。

これまで約40年近隣のお年寄りの憩いの場であり続けた当館も建物の老朽化で、もし地震や津波が起こった時の安全性が保証できないとの事。
晴れた日には富士山や伊豆半島が眺められる風光明媚な一色海岸の松林の中にあり正に竜宮城のよう。
飲んで・食べて・唄って・喋って楽しいひと時を過ごして、又バスで帰っていく。

70~80歳代のお年寄りを見ていると、大正、昭和、平成を生き抜いてきた正に「ニッポン人」の博物館のようでもある。
いろいろなタイプの人物像が浮かび上がり実に興味深い。
年取ると個性が一段と濃厚に表れるようだ。尊敬にあたいする人、逆に反面教師として“ああはなりたくないな”ってお年寄りも。

さて、かく申す自分もまもなく70歳代に突入。宮爺さんは他人さまからどう映っているのだろうか。


Posted by ほのぼのみやさん. at 2015年03月28日19:55

正月も早半月を生きるなり








四歳を 頭に4人も孫のいて
湯船にふたり 珊瑚婚の宿

         ~ 西伊豆・土肥温泉にて ~

今年も元旦を迎えてから賀状つくりをした。
思い返せば、亡くなった親父さんも、大晦日から元旦にかけて正月飾りを作っていたことを懐かしく思い出す。
今年も、昨年作った短歌で一番正月にふさわしいかなと思われる一首を載せてみた。

こんな賀状を書き続けて何年経ったろうか。
短歌つくりを教えてくれた高校の恩師も他界して久しい。

昭和の一番良き時代だった頃、“じいちゃん”というせりふが入った大泉逸郎が唄った「孫」が大ヒットした。
今、二才の孫がぴったり二重写しで、一番心にしっくりくる今年の正月だ。
孫がいて、家族全員で迎えられる正月は実に嬉しくありがたいと思う。

昨年は結婚35周年の珊瑚婚式でささやかな小旅行に。
金婚式を迎えるまであと15年、ふたりとも心身ともに達者でいたいものです。

昨年はとうとう、前の川の桜の樹も全部伐採されて、子供の頃から親しんできたコンクリートの橋も壊され、自分のアイデンティティに繋がる心象風景のすべてが消えてなくなった。

これからは、更に前向きに“新しい自分の世界を創り出さねば”と思うほのぼの宮さん爺ちゃんの67回目の正月でした。




Posted by ほのぼのみやさん. at 2015年01月17日19:55

「仲人親」を”さんちゃん”と見送る・・・



「仲人親」という言葉もだんだん死語になりつつある先日、宮さん夫婦の「仲人親」が眠るように、穏やかに90才の生涯を閉じた。
噛めば噛む程味の出る、するめいかのように味わい深い人生の師であった。
「仲人親」は、妻のお姉さんの嫁ぎ先の義父さんで、同じ年恰好の子供たちがいたこともあり、我々家族もとても親しくさせていただいてきた。

義父さんは、
男兄弟が皆戦死してしまい、ひとり残された娘さんの処に婿養子に来たという。
昔話を聞くとほんとに苦労された時代を生きて来られたんだろうなとしみじみ思う。

でも、我々の知っている義父さんはとても陽気な方で、結婚式の時にも”さんちゃん”を抱っこして腹話術を披露してくれたり、七福神の踊りをして地域を盛り上げたり、いろいろな世話役を引き受けたり・・・ほんとに皆さんに喜んで頂くのが好きな人でした。そして、誰からも敬愛される方でした。

又、昨年は詩や川柳の自費出版をして、我が家にも一冊頂戴した。
ほんとにやさしい視点で見つめた作品ばかりで、第2集を楽しみにしていたのにとても残念です。

宮さんも義父さんの年頃になったら、自費出版で歌集をと思いつつ、お義父さんへ贈る一首。

  抱っこした ”さんちゃん”と語る  在りし日よ
    笑顔で笑顔 逝くまでつなぐ      かつみ

式場の入り口に、主を亡くした”さんちゃん”が座り、参列者をお迎えして告別式が始まりました。
なんともほほえましい、義父さんの想いのこもったお別れ会でした。

タグ :仲人親


Posted by ほのぼのみやさん. at 2014年09月01日13:56

繋がる生命と滅びるいのち


お国から介護保険証もいただいて、これからは「ほのぼの宮さん」改め、「のんびり宮さん」で生きようと思い立った途端、
なんと、この10月より娘家族と同居することに相成りまして、じじ・ばば二人から、2才の女の子、1才の男の子の孫、猫ちゃん二匹で、なんと八人家族(厳密には六人と二匹)になり、「のんびり宮さん」はしばらく延期になってしまいました。

可愛らしいくりくり眼の瞳の奥から見つめられると、もう全てを許してしまう爺ちゃんなのであります。
結婚当初から、妻の言葉から子供は望めない、ましてや孫のいる生活など想像もしなかったことが・・・
いろいろあった結婚34年、神様からのご褒美のようであり、何かお返しをしなくてはと思う今日この頃であります。

そんな中
とうとう前の川の桜並木が伐採されてしまいました。
津波などの天災ならともかく、区画整理という名の“人災”で殺されてしまった桜の精たち。

宮さんがこの孫たちと同じ年頃のころより、ずっと慣れ親しんできた前の川と桜並木が住宅地に変貌するために跡形もなくなる。
すでに空地ばかりのこのエリアに、これ以上住宅地ばかり作って何の意義があるのだろう・・・。

ふんどし姿で泳いだり鮒を釣ったり、とくに初冬の夕暮れの冬木立のシルエットが好きだった前の川・・・。
橋の下に巣があったあの鯰の家族はどうなったんだろう。

来春は毎日孫たちと花見ができることを楽しみにしてたのに。
ブランコの揺れる四角な公園より、四季折々に彩る自然な並木をこの子達に残してあげたかった。

いつまでも人も自然も、生命あるもの総てが健やかでありますように。



上は最後になった桜花、下は最後になった桜の切株


Posted by ほのぼのみやさん. at 2013年11月26日21:30

介護保険がやってきた。めざせ PPJ!



ぱんぱかぱあ~ん
おめでとうございます!

とうとう「赤紙」ならぬピンクの”老人介護保険”「介護保険被保険者証」が届きました。
65才の誕生日を迎え、老後戦争に突撃!と云わんばかりの赤紙だ。
幸い今の処
少々目がかすみ、耳が若干聞きにくくなり、物忘れが多くなり・・・
まあ、本人の性格と同じで、宮さんらしい小さい小さい戦争は始まっているのだが、介護保険のご厄介になるほどの病状はまだない。

しかし、まだない!なんて威張っていられぬ現実が近づいていることに驚いた。

先日、ある法人主催の介護保険セミナーを聞きに行って「老人介護保険証」があっても、実際にケアされる内容がお飾り程度でとても安心して寝てはいられないということを初めて認識した。

自動車で事故を起こした場合にそなえて、強制的に「自賠責」に加入させられるが、実際に事故起こしたら「自賠責」で賄える金額はほんのわずか。だから、みんな当たり前のように「任意保険」に加入している。

これと全く同じ状況が「介護保険」制度にも言えると。
介護が必要になった時「介護保険被保険者証」でカバーできるのはほんの一部にすぎない!ということだ。
しかもその金額の1割を個人負担し、さらに足りない部分は全額自己負担になる。我が家のように跡取りがいない老々介護では、金額的にも、作業的にもとても自分たちでケアするなんてできない!

これではおちおち寝てもいられぬぞ!
めざせ PPJ(ピンピンジャンプ)!
寝込むことなく、げ~んきで、天国へジャ~ンプ!


Posted by ほのぼのみやさん. at 2013年07月18日15:21

桜散る四月に・・・


元旦の想いに耽っていたら・・・
あっという間に桜も散ってしまった。

一昔前なら、満開の桜が新小学一年生の入学式を祝ってくれたものだが、今年はすでに散ってしまったところも。

何をそんなに散り急ぐのか。

孫と一緒に写っているこの桜もあっという間に散ってしまった。
今年が最後の桜だというのに・・・

自分がこの孫の歳の頃よりずっと見守ってくれていた前の川の桜。
小学生の頃は、よくこの桜の下でフナを釣って夕方暗くなるまで遊んでいたものでした。

区画整理という名の人間の暴力で、川上からどんどん伐採されてきて、
とうとう今年で全部伐採されることの知らせが。

亡くなった姉が二十代の頃徴用に出されて植えたというから、60才から70才位の樹齢だろうか。
区画整理さえなければもっと長寿を全うできたであろうに・・・

机上の図面に定規を当てて、スッスと引かれた四角い街作りに、放物線を描いている前の川はジャマだったのだ。

世の中がなんだかギスギスして、人々の心のゆとりが無くなってきている象徴なのかもしれない。

新前の川は真っ直ぐにできたコンクリートの川、というより水路の様相である。
ヨーロッパではそんな川をコンクリートを外して、昔のような水中生物の住める川に戻しているというのに。




Posted by ほのぼのみやさん. at 2013年04月06日18:38

新しき一里塚





   元日や 冥土の旅の 一里塚
   めでたくも有り めでたくも無し。
   
生まれてこのかた、64個もの一里塚の前を通過して、人生の旅は一歩一歩冥土へと近づいてきた。
誰もがみんな一人残らず冥土への旅をしているのだ。
 

冥土へは、どなたがどんなふうに案内してくれるのか分からないが、焼津への“極楽ツアー”の旅のご案内はここ焼津市観光協会の案内所が承っています。
 
焼津の浜辺に立ち、紺碧の空と海を従えてそびえたつ霊峰富士を仰ぎみれば、思わず手と手を合わせてしまうでしょう。
あったかな黒潮天然温泉に入って肩までつかれば“あぁ ごくらく極楽”と、ついほとばしってしまうことで しょう。
そして、極上のまぐろや鰹を肴に、“磯自慢”でいっぱいやれば、そこはまさに今生の極楽浄土に・・・・。
   

そんな観光案内の仕事もあと3カ月。そろそろ次の「旅の道しるべ」を探さないと。
 「人生すごろく」もまだすぐには“冥土への上がり”にはならないだろうから。
   
今年はどんな年になるのだろうか。楽しみである。
   


  短歌選 選ばれ副賞 お寿司券
    握りて孫と 初回転寿司
  
             ~ かつみ ~
   
   
今年の年賀状の新春一首である。

昨年「ふるさと焼津短歌コンクール」で審査員特別賞を頂いたのですが、副賞に寿司券のおまけがついて、表彰式の帰りに孫とはじめて回転寿司に行き乾杯を。

あれから一年孫もおしゃべりが上手になって。

今年は又、新しい生命が誕生する。これまた極上の喜びである。
   

Posted by ほのぼのみやさん. at 2013年01月13日21:07

孫ロス症候群





小雨に濡れた晩秋の坂道を少し登っていくと小さな斎場がひっそりと佇んでいた。
高校時代からの友人のおふくろさんの旅立ちを見送りに初めて来た斎場である。

初めてと言えば、人生で始めて酒飲んで友人の家に泊めてもらったのがこの友の家であった。
翌朝お袋さんが味噌汁を作ってくれて、そのニオイで又吐いてしまうという大失態をおかしたのも今は懐かしい。45年も前のことが昨日のように。

いつ行ってもにこやかでやさしいお袋さんであった。
このお袋さんにはもうひとつエピソードがあり、アロマセラピー講座で何度か講座のネタにさせていただいた。

それは、
ある年、ご主人と長いこと可愛がっていた猫が相前後して亡くなったことがあった。
その時、ご主人を亡くした時はそれ程にもなかったが、猫ちゃんが亡くなった時一週間位寝込んでしまったとのこと。
ご主人は仕事柄帰宅が遅かったり泊りのことが多く、いつも膝に猫を乗せてご主人の帰りを待っているという暮らしを続けて来たという。

日本人は、特に高齢になると、抱擁したり肌と肌で触れることが少ない。
その分猫ちゃんやわんちゃんが代行してくれて、それが、人間の五感の中で一番やすらぎを感じさせてくれる大切な”触覚”を満たしてくれる。

猫ちゃんを膝の上に乗せてなぜることで、いつもお袋さんの心の平安が保たれていたのだった。
だから、猫ちゃんを失った時の喪失感が大きかったのです。
まだそんなにペットロス症候群が注目される前の話である。

我が家でも同じことが言えそうかもしれない。
昨今はぎゅっと抱きしめる相手は、もっぱら可愛いお孫ちゃん。
ペットではないが、いやいや、もっともっと崇高で無垢な魂でジジとババを抱擁してくれる。
これ以上の贈り物はないだろうが、ペットと違い、孫はあっというまに成長して離れてしまう。
ペットロスならぬ、孫ロス症候群にならないようにせねば。
今年も残り少なくなってきた。


Posted by ほのぼのみやさん. at 2012年11月21日21:36

友 遠方より来る



富士を背に 機上の人となる友と

次の逢瀬は有るや無しやと

~富士山静岡空港展望ロビーにて~


友、遠方より来る、また楽しからずや。
でも、この友は幼なじみでもなく、青春時代を共に過ごした学友でもなく、会社の元同僚でもなく、
ただ、数年前、東京のある地下鉄駅を上った所の案内板の前で道を尋ねられた。

ただそれだけのご縁の始まりであった。
偶然、同じ会館を探していた。それじゃあご一緒しましょうという出会いから、帰りに一献傾けメールアドレスの交換をして別れた。

そして、なんと翌年、偶然二人はおんなじ日に上京することがわかり、東京で一年ぶりの再会を祝して乾杯した。今度はそれぞれ別の用事でしたので余計にびっくり。
更にその翌年、また二人はおんなじ日に上京することがわかり、三度目の再会を。しかも美人の新しい奥様を連れて。
彼は北海道の登別市の整体師の先生で、彼も自分も一年に数回しか上京しないのに、三年続けて同じ日に上京するなんて。有り・・・?

北海道と静岡で不思議な糸で結ばれているのだろうか?
妻に「あんたたち前世で夫婦だったのでは」と冷やかされて。
ひとつ言えることは、最初に出会うきっかけが、二人とも”日本波動学会”の講演会の会場を探していたこと。だから、同じ波動を持っていたということ?かな。
人の縁は目に見えない波動で導かれているのだろう。

今回は浜松に研修に来た帰りに焼津に一泊し、久しぶりに盃を交わし、富士山静岡空港より新千歳空港に向け飛び立って行った。
富士山静岡空港富士山静岡空港富士山静岡空港富士山静岡空港初秋を感じさせる青く済んだ空の下、くっきりと聳えた富士山を横切るように・・・。


Posted by ほのぼのみやさん. at 2012年08月23日21:58

人生の楽園はいずこに



爽やかな初夏の朝の光をあびて23才の・・・いや、昭和23才児の64回目の誕生日を迎えた。
もう64才。四捨五入して最後の60才台である。来年からは四捨五入すると70才なのだ。
でも、年ごとにやりたい事がどんどん増えてきて”えらいこっちゃ”年取ってる暇ないな。

おかげさまで、五月から来年三月までの期間職員ではあるが、再就職できて通い始めた。
これが最後のお勤めになるだろうから来年の4月が楽しみである。

最近テレビを録画して観ている番組に「人生の楽園」と「夢の扉」「団塊スタイル」がある。
特に「人生の楽園」は第二の人生の基盤を自然豊かな田舎に移し、生き生き活動している皆さんが登場する。

当地は、子供の頃には田や畑に囲まれ四季折々に豊かな自然の農村であったが、”区画整理事業”という美名の元にすっかり自然が壊されて、少し残った桜の木々も来年の花見を待たずに伐採されそうである。大きなナマズの巣があった岸辺も道路の下になっていた。

「人生の楽園」は、毎週感動して、あこがれの眼差しで観ている番組であるのだが・・・
さて、宮さんの”人生の楽園”はどこにあるのだろう。


Posted by ほのぼのみやさん. at 2012年05月15日23:02

岸井成格氏と比嘉照夫氏の講演に聞きいる。





4月1日はエイプリルフール。
昔から今日だけは嘘をついて良い日だと言われてきました。”今日だけは”である。
だが、最近はエイプリルフールだけでなく、テレビを見ていると為政者や特権階級の亡者共が嘘をつきまくっている。
その最たるものは、3・11の津波や原発事故にからむもので、しばらくして、実はあの時すでに、その情報は入手していた。わかっていた。
実は・・・実は・・・。
未だに嘘をついていることもいっぱいあるだろう。。

原発がなければ日本の電気需要を賄えないというのは嘘で、実は個人で発電できる技術も製品もあるが「電気事業法」にひっかかるのでそれは販売できない。
そんな法律のない国に輸出する予定だそうだ。国民に良いことをすると法律にひっかかるという法律ってなんのためにあるの。

福島の多くの農地が被爆して3年は農作物を育てられないという事でしたが、すでに昨年田植えをし、被爆前より美味しい米を収穫した。しかも放射能も基準値以下の安全なお米が・・・

農作物だけでなくその技術を使えばガレキや原発の処理も、現地でスピーディーに出来るという。
そんな技術があるのに、取り入れようとしない行政は何を躊躇しているのだろう。
今はみんなボランティアで活動しているという。

2040年から2050年にかけて、更に自然界や社会情勢の大きな変革が起こるだろうという。
一部の利益者の為に誰かが嘘をついているならこんな不条理なことはない。福島の難民の人もほんとはもっと早くふる里に戻れるというのに。

最近、毎日新聞の岸井成格氏と国際EM技術研究所所長の比嘉照夫氏の講演を聞き、テレビからは伝わって来ないもうひとつの今を見た。

人間は嘘つきだけど植物は嘘をつかない。今年もソメイヨシノの桜が春の訪れを謳歌って、我々人間を優しく元気付けている。


Posted by ほのぼのみやさん. at 2012年04月01日17:33

「ありがとう・感謝します」の二日間





先週末、充実した二日間を過させていただいた。

土曜日は焼津市総合福祉会館で“ツキを呼ぶ魔法の言葉”の著者、五日市剛氏の講演会があり5~6年ぶりに“ありがとう・感謝します”ワールドに浸ってきた。

学生時代にイスラエルで起きた“おばあさんとの不思議な体験”から人生がガラリと変わったという話を5~6年前に東京で聞いて以来の講演で、今回はご自分の事でなく“ツキを呼ぶ魔法の言葉”を読んで、それを実行して成功された方、困難を乗り越えられた方の感動的な話でした。ゴルフの石川遼選手もその一人とのことでした。
いやな事があったら“ありがとう”嬉しいことがあったら“感謝します”を唱えることで人生を前向きに生きましょうという、楽しい講演でした。
小林正観さんの亡き後“ありがとう教”?を背負って長く頑張って欲しいものです。


日曜日にはなんと、その“感謝します”を唱える出来事が起こりました。

高校二年生の時より書きはじめた短歌で、賞というものを初めていただくことになり、その表彰式に呼ばれて行ってきました。
焼津市文化センターで行われた「文化豊かな焼津市に・将棋と短歌のコラボによる地域文化財の活用」の一環として催された「ふるさと焼津」短歌コンクールで、特別審査員の田中章義氏に因む“田中賞”を頂くことになり参加しました。

観光協会にお世話になっているし、焼津市の短歌コンクールでは多分応募者なんてあまりいないだろうからと、“枯れ木も山の賑わい”のつもりで応募した作品のひとつが田中章義氏の感性とたまたま共鳴したようでした。
“この短歌をどんな方が作られたのかお会いしたかったから選ばせていただいた”とのメッセージをいただき、特にプロの歌人の方からチョイスしていただいた事に大感激でした。

高校時代の恩師古瀬潤先生から“作歌のすすめ”を教えられ、自己流でただ「5・7・5・7・7」と指を折り続けて47年、こんな経験ははじめてのこと、恩師にお礼をと思うのだがすでにあちらの世界に。せめてこころで“ありがとう・感謝します”を唱えよう。


若い頃は鰹を追って小笠原海域までも、歳取ってからは桜えびやしらす漁に出て四人の子供たちを育て、晩年は痴呆症をわずらい、連れ添いの顔もわからなくなってからも、ベッドに横たわりながらも、しらす漁の網をたぐりよせる仕草を繰り返していた親父さんを偲んでの一首

  潮騒が 遠くに聞こゆ 安らけく
  漁師で逝きし 親父が寝息か   かつみ


Posted by ほのぼのみやさん. at 2012年02月08日20:40

今年も明るく 宮さんです



被災地の 小川にめだかの 戻る日を 
  夢見て入れる 義援金
 ~かつみ・焼津さかなセンターにて~

明けましておめでとうございます。
2012年の幕開けです。

念頭の作業は、毎年神さまご先祖さまに若水を上げることと、年賀状を書くことから始まります。
年賀状はこの方数十年ワンパターンを続けています。
前の年に作った短歌で一番印象深い出来事に因んだ一首を選んでいます。
今年はやはり3・11の東日本大震災に因んだ上記の一首を。

昨年からお世話になっている“焼津さかなセンター・観光案内所”の前に、義援金箱を置いて募金をお願いしているのですが、やはり時の流れで、日毎に募金が薄くなりました。
そこで、箱だけでは目立たないので、隣にさかなセンターらしく、ハッポースチロールの箱に水草と石や土を配してめだかを5匹泳がせることにしました。
その箱の前にこの短歌を書いておきました。

めずらしそうに覗き込みめだかを探す人もあり、募金が増えたように思います。
5千円札を入れてくれた方もいらっしゃいました。
廃墟となってしまった“みちのくのふるさと”にいつの日か、又めだかがのんびり泳ぐ小川が復活する日が来ることをこころから願ってやみません。

焼津さかなセンターにお立ち寄りの際にはめだかに会いに来てください。
義援金よろしくお願い致します。




Posted by ほのぼのみやさん. at 2012年01月03日21:42

男の酒のうれしさは・・・




  「男の酒のうれしさは たちまち通う 意気と熱 
   人生山河 険しくも 君 盃をあげたまえ
   いざ 我が友よ まず一献

   秋 月影に飲むもよし 花散る春に 酔うもよし
   哀れを知るは 英雄ぞ 君 盃をあげたまえ
   いざ 我が友よ まず一献

   美人の酌に酔えばとて 今宵は今宵 何か言う
   男は明日に生きるもの 君 盃をあげたまえ
   いざ 我が友よ まず一献
   いざ 我が友よ まず一献」

少し酒が入り、ほろ酔い機嫌になると自然と口ずさむ学生時代に覚えた「まず一献」という愛唱歌である。
昨夜は、この歌を、一番一緒に唄いたい友と、一番大っきな声で、一番気持ちよく唄えた。

第8回神奈川大学詩吟研究部OB会が浜松舘山寺のホテルで開かれ、遠くは北海道や四国からも駆け付けてくれて久し振りの再会を楽しんだ。
今回、卒業以来初めて再会する先輩もいて、40年前にあっという間にタイムスリップしてしまった。

スクラム組んで唄う寮歌や愛唱歌で、胸を熱くできる友の輪は、何物にも代え難い人生の宝である。
あれから40年、それぞれの人生を歩んできた旧友が今、又こうしてスクラムを組んで高歌放吟できる喜び。
あの当時、40年後の自分がどんな生き方をしているだろうなんて全く予想だにできなかった。

夫となり、父となり、そしてかわいい孫たちの爺ちゃんになり・・・
今、平凡だが穏やかな心境で、日々感謝して生きられる自分があるのも、神大吟研の先輩との出会いが、すべての始まりだったことを思うと、えにしの深さをしみじみと感じる夜であった。

これからも、詩を愛し、吟に親しむ心豊かな人達の輪をたいせつにして、又の再会を楽しみに生きよう。


  老いてまえ いぶしの吟と酒がしむ
   舘山寺の夜 青春(はる)ふたたびと 
                  かつみ


Posted by ほのぼのみやさん. at 2011年11月15日20:03

ストレス講座を開きました。



先日久しぶりに行ったストレス講座の写真を送って頂いた。
中高年の為のストレス講座“ここらで一服お前とあんたについて考える” と言うテーマで公民館の社会学級講座のひとりとしてやらせて頂いた。
受講生のほとんどが60歳~70歳代の女性で占められ、数人の男性がかたまって一番後ろの方に固まっていらっした。まるで今の世の中の縮図のような、女性が活き活きでーんと 男性が刺身のつまのように後に控えていた。

講座の主なテーマは、病気になる大きな要因として“ミネラル不足”と“精神的ストレス特に人間関係によるストレス”をあげ、
今のトマトが、我々が子供のころ食べたトマトと比べていかに栄養素が少ないかを、又、
生年月日でその方の人生観や感情表現のしかた等がわかり、お互いのそれを大切にしあい、“お互い様”の心を忘れないで暮らすことを提案。

講座後に個人的に相談をお受けしたり、公民館のスタッフさんから皆さん喜んでいらっしたようですよ、とお聞きし充実した講座になりました。


Posted by ほのぼのみやさん. at 2011年08月05日22:59

踊夏祭の夏



ほのぼの宮さんは、本日焼津観光協会主催の第11回「踊夏祭」のボランティアで1日大井川港でした。
夏の猛暑に負けないで踊りで猛暑を乗り越えようというものです。
最近は、“よさこい踊り”が大ブームで、土地の名所や産物を入れた“よさこい”が全国的に生まれており、“ええじゃないか”が大ブームになった時代に似ているのだろうか。地震・津波・原発事故・・・この不安な混沌とした世相の中で、躍りの中に救いを求める人々が増えている。現代はある種“踊り念仏”が流行った乱世の時代ににているのかも。

被災の直後で、“そいや そいや”の掛け声が被災地の皆さんに送る応援歌のようにも聞こえてきました。
同時に行われたトライアスロンの選手の力強い泳ぎや走りに、こんなパワフルな人たちが日本の復興を支えてくれたら日本も元気になれそうな気がしました。

中学・高校の同級生、昔の職場の社長、地域の仲間、いろんな懐かしい人との出会いもあり、今日一日心豊かな時を過ごさせていただきました。皆さんお疲れ様でした。


Posted by ほのぼのみやさん. at 2011年07月17日22:29

還暦七五三



「年齢をとると月日の経つのは速いものです」ってよく言われますが、先日ブログを書いたばかりと思っておりましたが、もうすぐ7月。

いつの間にか5月の自分の誕生日も過ぎて、なんと還暦3才を迎えてしまったのだ。
七五三の三つの祝いだ。
お祝いと言えば、二人目の孫が同じ5月に生まれた。今度は女の子。こんな時代を選んで産まれて来たんだからきっと逞しく成長してくれるだろう。これからも女の時代が続くだろうから。

男と女の子のふたりのお爺ちゃんなのだ。これからも愛する孫たちに“じいちゃん貯金”をせっせと貯めないと・・・。愛されるじいちゃんの必須条件かもね。

そんなちっちゃな事より、この子達が安心して健やかに暮らせる社会を取り戻さなくては。
まず安心して食べられる食糧を、そして放射性物質や電磁波などの目に見えないけど確実に身体を脅かしている存在を安全なものに変えなくてはならない。
アスベストも、原発も、あんなに安全だって言っていたのに・・・・。この子達が大人になった時代、何が残り、何が淘汰されてゆくんだろう。

平凡でも、せめて一日楽しく笑って、笑顔で暮らせる日々が続きますように。


Posted by ほのぼのみやさん. at 2011年06月27日19:43

4月は仕掛ける?




1月は行く、2月は逃げる、3月は去る・・・
そして、4月は仕掛ける?

今年はブログのページを1ページ綴っただけでもう4月に・・・

この間、3・11の東北関東大震災という未曾有の震災に見舞われ世の中が一変してしまった。
被災された方々にはここらからお見舞いと激励を送りたいと思います。
昨日も粉末のお茶を日本茶道連盟を通じて送らせていただいたり、わずかばかりの義援金を送らせてい
ただいた。
少しでも心の平安を取り戻していただけたら幸いです。

一方、失業中の我が家の家計にも激震が走っており、復興のための仕掛けを何かせにゃならん。
手始めに、23・24日の清水銀座のイベントに出展することにしました。
緑茶石鹸やITゲル(長時間のパソコンなどでの眼の疲れや、白○障などで見にくい視野が明るくなったり
するジェル)の販売をします。ぜひお越しください。

先日家山の桜を見に行ってきたが、例年のような賑わいがない。
人々の顔はどこか虚ろな表情の方が多いように思われる。
3・11の傷あとが深く深く刻まれている。


Posted by ほのぼのみやさん. at 2011年04月08日21:56